町人の刑にして輕微なるものには、徘徊留・指扣・組合預・追込・閉戸あり。是等は何れも愼みと汎稱せらるゝものにして、その差別甚だ曖昧なりしが、寛政五年之に一定の解釋を加ふることゝせり。即ち徘徊留は單に他行し得ざるもの、指扣は下蔀をおろし商業を營ましめざるもの、組合預は組合より番人を置き蔀全部を閉すもの、追込は蔀全部を閉すもの、閉戸は蔀を閉して目板をその空隙に釘付するものとし、而して別に一類預といふものありて、一類より番を置くこと組合預に同じとせり。 僧侶の刑には、逼塞・押隱居・隱居蟄居・寺外隱居・追放等あり。押隱居は住持たりし者を強ひて隱居せしむるをいひ、隱居蟄居は隱居の上蟄居せしむるものとし、寺外隱居は寺院に住せざると同時に他國に往く能はず。僧侶たるもその罪重大なるときは、死に當てらるゝことあり。天和元年五月廿五日、金澤泉野寺町日蓮宗某寺の住持が、女犯の爲に磔刑に處せられし如きは是なり。同じく女犯なるも、特に大伽藍たるを以て重刑を免ぜしことあり。文化十二年寶圓寺の九峰が、天徳院に預けられて座敷牢に收容せられたるが如きもの是なり。而して之と同時に非行の發覺したる桂巖寺・龍徳寺・隆圓寺・希翁院・寶勝寺の住僧は、皆磔刑に處せられき。住持の僧重罪によりて處刑せられたるとき、その寺院を破却し、寺號を退轉せしめしことあり。金澤曹洞宗長樂寺の住持が寛文五年破戒によりて追放せられたる時、金澤曹洞宗國勝寺の住持が同年亦破戒の罪を犯して失踪したるとき、鳳至郡波並の曹洞宗徳昌寺の住持が延寶二年破戒の上數人に負傷せしめたる時、金澤の麟祥寺・覺賢寺が、同年遊藝々人を滯在せしめたるにより御領國追放を命ぜられたる時の如き、皆その處刑は啻に犯罪者のみに止らずして、寺院の破却に及びたるを見る。