犯人の身分が、士分即ち歩並以上なる時は、死刑の父に對して男子の連座せざるべからざること、先に述べたる延寶二年の令に見ゆるが如く、犯人にして判決以前自害するも、尚その子の連座を見る能はざりき。寶永元年御算用者笠松十郎、謀書によりて私曲を營み、次いで自害したるが、その男子の切害を命ぜられしは一例なり。葢し犯人にして存命せば死刑に當るものなりしを以てなり。死刑以下の者に在りても、亦その男子を連座せしむることあり。正徳二年定番御馬廻組の士堀口彌太郎の追放せられしとき、男子も同じく追放に處せられしが、他家に養はれたる犯人の子は不問に附せられき。刑の執行前犯人の死せし場合に、連座すべき男子を赦免せしことあり。享保十九年御算用者松江次郎左衞門、死一等を減じて流刑に處せられしが、未だその執行を受けざるに先だちて牢死せしを以て、その男子の連座して流刑となるべきものを宥せり。藩末に至り、父の罪に連座して流刑に處せらるべきもの、若し幼年なる時は、十五歳に達するまで執行を延期し、その間犯人流謫の地にありて死する時又は子の僧籍に入りたる時は、その連座を免除せり。