禁牢者の附加刑の一種に入墨あり。凡そ累犯者に在りては、大に刑の裁量を加重すといへども、年月を經過したる後に在りては當路を欺瞞し、爲に容易にその累犯たることを發見し得ざるの憂あり。是を以て天明五年、藩侯前田治脩は公事場奉行に令し、禁牢の期滿ちて釋放せらるゝものは、假令微罪たりとも必ず右前腕に入墨するの新法を初めしめき。その公事場に於いてするものは、腕を繞りて輪状を畫き、盜賊改方は竪の短線、町會所は横の短線を用ふ。但し同六年非常大赦の際には、入墨を施さずして出牢せしむることゝし、その翌年には幕府又は藩の吉凶に際して赦を行ふ時も亦同例とし、寛政三年赦に會し死を減じて三ヶ所御構追放代刑に處せられ、禁牢の期滿ちて放免せらるゝものも、亦入墨を施さゞりき。同年他國者の入墨は、腕の内面に於いて輪を引違へ、以て領民と區別せり。 死刑又は疵附追放に處せられたる者の附加刑に闕所あり。犯人の士人なるときは、屋敷地及び家屋を普請會所に沒收し、町人なるときは町方に下附す。又百姓なるときは家屋と農具とを居村に下附し、土地は改作奉行之を處分するも、頭振は土地を有せざるが故に家のみを下附す。犯人の所有せる金銀諸道具は、悉く公事場に沒收せらる。但し親懸りなる時は父子の財産を區別し難きを以て、天和元年之を沒收せずとし、犯人の妻及び娘の衣類諸道具も亦元祿十三年之を除外することゝ定めたりき。又犯人が債權を有する米錢は、之を回收したる上沒收し、その債務に屬する米錢は、犯人の資産中米錢の現在する限りに於いて辧濟するも、諸道具の賣却代に及ぶこと能はずとせり。質商の闕所とせらるゝ場合は、元祿四年質物を元錢にて本主に還さしめ、流質物に限り闕所に附せしむ。質物の中に本主の不明なるものあれば之を調査せしめ、尚知り得ざる場合にのみ闕所とすべく、賣懸銀等は凡べて回收すべきことを定めらる。寺庵の住持死刑に處せられ、寺院の破却せしめられし時に於いては、從來その處分一定せざりしを以て、天明五年寺院と佛具とを頭寺に與へ、殘餘の諸道具を闕所すべしと規定せり。疵附追放にあらずして軍に追放に處せられたるものゝ闕所に就いては、士人の場合には、その時々年寄中の議に附すべしとせられ、農民の場合には、居屋敷・家屋・農具を沒收して入百姓に與ふれども、その他の動産に及ばずと規定せり。