士人の納むる役銀は又御普請銀ともいひ、元來城郭修理の費に充つるより出でたる名目なりといへども、轉じて力役又は金錢を以て藩侯を補助するの義となる。その法知行高百十石より九百石に至るまでの士は銀を以て上納し、百石に對し、一日當り銀七分とし、一年を三百五十四日と定めて、總額二百四十七匁八分を算出し、その十分の三を上納せしむ。故にこれを城普請三分役ともいふことあり。かくて知行百石の士は七十四匁三分四厘を上納すべしといへども、百石及び百石以下のものには之を免除し、百十石以上の者に之を課するの例とし、百十石の者は銀八十一匁七分七厘、百二十石の者は銀八十九匁二分にして、順次同比例を以て九百石に至り、その三分の一を七月に、三分の二を十月に上納せしむ。而して知行千石に上る時は、役小者一人の外に銀を以てす。即ち百石に付銀七十四匁三分四厘の比例を以て計算したる内、役小者一人の扶持米給銀を引去りたる餘剩を銀にて上納するものにして、之を人役銀役と稱す。知行千五百石に上る時は、杖突足輕一人・小者一人を人役、その殘餘を銀役とす。以上は無役の士に關する規定にして、特殊の役掛りを有する者は、知行の大小と役儀とによりて、或は全くその上納を免除せられ、或は半役銀をのみ課せらるゝことあり。第三世前田利常の初世に至るまでは、千石の士より役小者三人を出すを法とし、銀役は皆無なりしが、泰平の世となるに及び、人役を減じて銀役とはなせるなり。 又出銀(シユツギン)といふあり。士人の役掛りあると無役なるとに拘らす、百石以上の知行を有する者は、百石に付一ヶ年銀二十五匁を納むるを法とし、三月に十匁を、十月に十五匁を上納せしむ。この銀は諸士非常の際に於ける軍用金、他國に勤務し若しくは他國に使者たるときの費用等に充つるものにして、かゝる場合には其の人の知行高と任務とによりて一定の銀高を下附せらる。而して出役したる者の受領したる銀は、元來諸士の協同蓄積したるものなるが故に、他日之を返還するを要せず。百石未滿の士は出銀を爲さすといへども、又この基本金中より出役の費用を支出せらるゝものとす。 本節は、加賀藩に於ける士人の服飾及び城内の典禮に就いて略述す。その時代は主として文化・文政の頃のものを採れり。