士人の平服は羽織・袴とし、兼房染紋付又は色紋付を着る。袴の地質は絹なると小倉織なるとあり。但し暑中の略服としては、綿麻交織又は麻布・葛布を用ふることを得。羽織の地質は羽二重なるを普通とし、魚子織・平絹等をも混用し、紋所は五つ紋とすれども、城中に於いて決して用ふることなし。唯頭役以上のもの、宿直等に當り七ッの時刻を過ぐる時之を着するのみ。紋服の下着としては、無地・小紋又は縞物を用ふるを得。頭役以上の平服に繼上下を用ふることあり。繼上下とは肩衣と普通の縞袴との事にして、その肩衣は絹地無地染の五ッ紋所とし、小紋に染めたるを略式とす。繼上下の場合に於ける着付は、麻上下の時に同じ。 此等服裝に關する慣習は、藩末に至りて大に變遷せり。即ち安政以降に在りては、藩治の緊縮方針に基づき、從來直垂を着用したる場合には長上下に改め、更に麻上下となし、熨斗目も亦廢せられて帛紗小袖となり、繼上下は羽織・袴に代へられ、平服の袴は襠(マチ)低の製ならざるべからざりしに、稽古所より直に登城する者の便を計りて、襠高をも許すことゝなり、足袋も亦紺足袋の併用をすら認むるに至りたりき。 衣服の制は、季節に隨ひて一定し、九月九日より翌年三月晦日までは、登城する者凡べて綿入を着ざるべからず、而して四月朔日より五月四日までを袷とし、五月五日より八月晦日までを帷子とす。帷子の地質は麻布にして、黒色以外の色染とし、紋を白くす。土用中に入るときは、地質に縮(チゞミ)をも用ふることを得、又白地麻布に藍又は黒色の紋所を描くことを得るも、是等は皆儀式用に供すること能はず。九月朔日以後八日までは再び袷を用ひ、次いで九日より綿入の季節に入る。是を以て、如何なる時季にも單(ヒトエ)衣を着ることなく、唯平常服として用ふるあるのみ。足袋は九月十日より三月晦日に至る間之を用ひ、白足袋に限らる。 金澤城二ノ丸御殿平面圖文化六年より藩末に至る 金澤城二ノ丸御殿平面圖