士人の藩侯に從ひて旅行する時は、頭役以上に在りては羽織・踏込袴一にのりせんといふを用ひ、脚半・甲掛・草鞋を着く。その羽織は夏季たると冬季たるとを問はず、淺黄色の麻地に五ッ紋所を染出し、仕立方は脇入なく脊割とす。又平士以下足輕以上に在りては、羽織・脚半・甲掛・草鞋を用ひ、着衣を端折りて短くし、幅三寸計の白布の背に家紋を描きたる腰帶を以て、普通の帶の上に端折りたる衣服を緊縳す。この場合には股引を用ふるを許されず、以て藩風の素朴堅實なるを示す。世に之を目して加賀の赤尻とも赤脚とも稱へ、淺黄麻地の道中羽織と共に一特色とせり。但し平士といへども、列外に在る者は、踏込袴を穿つ。小者の服裝は、かんばんと稱する紺色無地木綿のものを短く端折り、帶及び襟は褐色と白色との手綱染を用ふ。旅行用の菅笠は、晴笠と稱する一文字形のものにして、紐は紙の觀世捻を用ふ。これ亦加賀藩の一特色にして、老臣以下皆同じ。雨除(アマヨケ)合羽は桐油引の紙にて製し、角質の小はぜを附す。小者の合羽は赭色なるも、足輕以上は皆青漆色とし、乘馬の資格あるものに在りては脊割とす。但し刀の柄及び小尻を通すべき孔を穿たざるを特色とす。こは異變に際して、急に之を脱ぎ捨つるに便ならしめんとの用意に出づること、笠紐を觀世捻としたるに同じ。笠及び合羽は、晴天に際して笠籠・合羽籠に納れ、小者をして擔はしむ。藩侯旅行の行列には、最後に供押へと稱するものあり。身長殆ど六尺に近き亘漢を選び、更にその戴く晴笠の頭上に當る部分を、特に高く製して外觀を偉大ならしめ、太き竪縞脊割羽織を着せしむ。その羽織の丈け甚だ長きが故に、常人の長羽織を着するものある時は、供押への如しとさへ稱せられき。供押への身分は足輕に同じ。凡そこゝに述べたるものは、參觀交代の際に於ける公式行列の服裝にして、その他の場合に在りては、藩侯供奉の士皆絹羽織を着し、更に私的旅行に在りては、固より何等の制裁あることなし。但旅行にあらざるも、川狩たると遠足たるとを問はず、士分以上のもの若しくはその子弟の郊外に出づる時は、必ず脊割羽織を着用するを要し、端折りたる衣の上に腰帶を締めざるべからず。この場合に於ける脊割羽織の地質は隨意にして、公式の時の如く淺黄麻地に限らるゝことなし。