城内に於ける年中行事の最も重きを正月となし、その慣習作法頗る煩雜を極む。凡そ元旦より諸門に松飾・注連飾を粧ひ、三日に至る間は大手河北門・搦手石川門・橋爪門及び三ノ丸等に足輕を配置し、先手物頭及び割場奉行亦番所に在りて警備に任じ、登城の士皆熨斗目・麻上下を着用するを要し、特に知行八百石以上のものは長上下を着けざるべからず。但し藩侯江戸の留守中に在りては先手物頭等の警備を除くを法とす。 元旦には藩侯直垂を着し、飾熨斗三方・雜煮・吸物を供せられたる後、二汁五菜の膳部に對す。晝餐・晩餐亦之に同じといへども、汁は即ち庖丁の鶴を用ふ。二日・三日・七日・十五日には晝餐のみを二汁五菜とし、朝餐には、平常の献立以外に燒肴を添ふ。 元旦の朝餐終る時は、藩侯直垂のまゝ奧書院上段に着座し、太刀持の奧小將二人素襖を着して之に從ひ、家老二人布衣にて伺候し、奏者番は素襖を着けて、諸大夫即ち叙爵せる年寄衆の献上する太刀馬代を運ぶ。この時諸大夫は大紋直垂を着し、檜垣之間廊下より順次一人宛下段に入りて拜禮し、表小將素襖にて太刀馬代を引く。馬代は銀一枚即ち四十三匁にして、太刀代はその半額二十一匁なり。次いで諸大夫列座し、藩侯の指揮によりて表小將の運び來る熨斗三方を頂戴し、後溜之間に退出す。