正月六日、藩侯大廣間に出座し、寺社方に謁を賜ふ。その神職・僧侶は由緒の特殊なるものに限られ、一人宛拜禮す。僧侶の献上品は、十帖一卷・十帖一本・末廣二本・金子又は太刀馬代とし、神職に在りては鳥目百疋又は五十疋とす。十帖一卷とは杉原紙十帖・紗綾又は縮緬一卷にして、十帖一本は杉原紙十帖と扇子一本の義なり。この日夕刻、城の内外に於ける松飾を撤す。 正月七日、人日なるを以て、登城の輩は服紗小袖・麻上下を着し、先手物頭・割場奉行及び河北門・石川門・橋爪門に出勤するものは熨斗目・麻上下を用ひ、三ノ丸等の御番人は服紗小袖・麻上下とす。この日出仕したる人持以下、組頭並又は物頭並以上の者大廣間に着座する時は、年寄の一人藩侯に代りて面接す。蓋し年頭御禮の際即に藩侯に謁したるが爲にして、その外上巳・端午・重陽に於いても藩侯は多事なるを以て賜謁を缺き、藩侯在江戸の佳節朔望に於いても亦然り。而してその謁見あるとなきとに拘らず、是等の日に出仕するものは先づ奏者番に對面し、奏者所執筆の與力をしてその姓名を帳に録せしむ。 正月九日、藩侯寶圓寺の租廟に參詣す。 正月十日、藩侯城外の佛殿に參詣す。佛殿は徳川氏歴世の廟なり。この日藩侯は直垂を着くるを以て、隨從の供頭太刀を捧げ、配膳は布衣を着け、仲間二人及び沓持は八徳を着す。 正月十二日、藩侯直垂を着けて如來寺に詣で、後直に賓圓寺に赴き、裝束を改めて拜禮あり。凡そ寺院の參詣等には、奧の口式臺より藩侯の出入するを例とすといへども、當日歸城の際に限りて表式臺より入り、こゝに列座する十村・山廻・新田裁許等に通り掛りの謁を賜ふ。この際奏者番は熨斗目を着けて披露の事に當る。