正月十三日、臺所に於いて十村・山廻・新田裁許に一汁三菜の料理を賜ふ。その三菜は鱠・煮物・燒鰤とし、膳は角切折敷、椀は銀蒔繪の紋付なれども、無組十村に限り無紋の黒椀を用ふ。この際郡奉行と改作奉行とは臨席し、惣員約百八十人を一番座・二番座に分かちて膳部に就かしむ。終りて改作奉行を經て、昨年納租の成績佳良なりし農吏に賞賜す。例へば領國中一番皆濟の十村に白銀五枚、郡中一番皆濟の十村に白銀三枚を與ふるが如し。領國中各村の組合頭五千百人に對しても亦錢三百文宛を賜ふ。但し藩侯在江戸の年には賜餐及び褒賞の事なし。この日藩侯城内の東照宮に社參す。 正月十五月、例月朔望に物頭以上の諸士登城する禮を缺く。乙の日藩侯は小書院に出座し、小松城番の中、當年在番の者の拜禮と太刀代の献上を受く。小松番頭中の一人、事故の爲年頭に出席する能はざりし頭分も、亦同席に於いて拜禮す。次いで藩侯は矢天井之間に於いて、遠所在住の諸士・年頭に缺席したる平士及び牢屋附屬の町醫師に謁を賜ひ、諸士は鳥目を、町醫師は末廣を献げて惣禮す。それより藩侯は大廣聞に轉じ、遠所寺庵の拜禮を受く。寺庵の献上物は十帖一本・太刀又は太刀馬代とし、獨禮を行ふ。この夕、城門及び殿中の注連飾・間繩を撤す。 正月十六日、諸場・諸役所皆事務を開始す。 正月十七日、十村等一統を算用場に召集し、算用場奉行及び横目等列席し、改作奉行は改作法を朗讀して聽聞せしめ、以て農事を奬勵す。 正月十九日、具足の鏡餠を調理し、二ノ丸に在勤する各員に頒與せらる。その年寄に供する膳部は塗家具を用ひ、人持と頭分とは足高八寸とし、平士以下歩並に至るまでは足低八寸とし、足輕等は角切折敷とす。鏡餠の食事を終りて吸物を給するには、頭分以上は膳と共に取代へ、平士以下は椀のみを代ふ。取肴は頭分以上は卷鯣蝪、平士以下歩並は切鯣、足輕以下は割き鯣とす。而して足輕には吸物を與へずして鏡餠及び酒のみとし、小者には吸物と酒とを省きて鏡餠のみとす。