正月晦日、藩侯天徳院の祖廟に參詣す。 二月朔日、河北門・石川門・橋爪門及び三ノ丸の番人等は、服紗小袖・麻上下を着し、その他儀式に關係ある諸吏も亦之に準す。この日藩侯は、服紗小袖・麻上下を着して小書院に出座し、小松城番及び先に出頭せざりし頭分の禮を受け、次いで矢天井之間に於いて、先に出頭せざりし遠所在住の平士その他諸士の禮を受く。而して今日尚出席する能はざるものは、重ねて賜謁の事なく、年寄にして本日登城し得ざる場合には、必ず家老を代理として拜禮せしめ、献上の物を献ぐ。諸小頭・與力の輩にして、年頭御禮の當日出席せざりし者は、翌日より勤務するも、謁見を得ざるを例とす。この日又朔望に當るを以て、前記の拜禮終りたる時は、藩侯大廣間に出座して物頭以上に賜謁し、御用番之を披露する時藩侯は『目出度』と御意あり。之に對して年寄の中上席の者、『毎度御目見被仰付難有仕合奉存』と言上し、終りて藩侯居室に入る。藩侯不在の年には年寄之に代る。登城謁見する者の服裝は、服紗小袖・麻上下なり。朔望佳節の登城謁見は之を出仕と稱す。 二月十五日、頭分以上の出仕例の如し。 三月朔日、出仕例の如し。藩侯はこの月參觀し、翌年同月歸城すること多し。故に在國の際に於いては、參觀の期將に近きにあるを以て、『出府に付き何れも息災に』と述ぶるを例とす。 三月三日、上巳の佳節なるを以て、物頭以上の諸士出仕して藩侯に謁見す。 三月十五日、出仕亦例の如し。 四月朔日、出仕例の如し。今日より袷小袖を着用し、足袋を穿たず。