九月十五日、出仕例の如し。 十月朔日、出仕例の如し。 十月十五日、出仕例の如し。 十一月朔日、出仕例の如し。 十一月十五日、出仕例の如し。 十二月朔日、出仕例の如し。 十二月十五日、出仕例の如し。 十二月十九日、城中の煤拂を行ふ。先づ當年年男の任に當るべき會所奉行、裝飾を施せる煤竹を以て儀式を開始し、次いで割場奉行、割場横目に引率せられたる足輕・小者等煤拂に從事し、畢りて當日の役務に服したる諸役人に、煤粥と酒とを賜ふ。この際、頭分・平士より歩並に至るまでの膳部に皆足低八寸を用ふれども、頭分と年男との取肴は卷鯣とし、土地之間に於いて賜饌し、平士以下の取肴は切鯣にして臺所賄席に於いてす。足輕にして煤拂に干與したる者には角切折敷を用ひ、小者には板折敷を用ひて亦賜饌す。食事終る時は、歩並以上の者臺所奉行に對して謝辭を呈す。この日奧向に在りても、亦女中等隨意の服裝を爲して煤拂を行ふ。奧向と表の境界を錠之口といひ、奧向より表に用事を通ぜんとするには、鈴を鳴らして藩侯近習の士を招くを常とす。而して煤拂の際近習の士錠之口に來るものあるときは、潜伏したる女中忽ち起りて之を捕へ、廣式に伴ひ去り、木遣節を謠ひて胴上したる後罵詈嘲笑を加ふ。男子の錠之口以内に入ることあるもの、一年中唯この一次あるのみ、夜に入るときは女中等皆假裝して酒宴を催す。 十二月廿八日、物頭以上のもの歳暮祀賀の爲に登城し、各姓名を帳に記して退出す。この日諸門の番人皆常服を用ふれども、祀賀登城の者と奏者番とのみは麻上下を着く。同日年男たるべき會所奉行は熨斗目・麻上下を用ひて出仕し、具足の鏡餠を藩侯居室の床の間に飾る。藩租前田利家の用ひたる甲冑も亦同所に飾られ、年寄奧村氏は別に鏡餠二重を献ず。