正月元日、この日早起して若水を汲み、雜煮を調へ、屠蘇酒を飮み、家族互に歳始を祀す。雜煮の材料は、餠・昆布・松魚・芹・蕗の薹・芋頭等とし、箸は勝木を、盃は土器を用ふ。日暮に至れば寶船を賣り來る者あり。七福神の乘れる寶船の圖に、『長き夜のとをのねふりのみなめざめ波のりぶねの昔のよきかな』といへる回文を題したる半紙の摺物を賣るなり。蓐下に之を敷きて寢ぬれば、吉夢を得べしと信ぜらる。 正月二日、少年等書初を爲し、之を歳徳神に捧ぐ。男兒の試筆は『春風春水一時來』の如き佳句を撰み、傍に歳徳大善神と記し、女兒に在りては『新玉のとしの始に一ふでそめしなり』の如き短文に、歳徳御神と書き添へ、末端に姓名を署し、共に奉書紙を用ふ。歳徳の神棚を撤したる後、この書を土器に入れて蒸燒とし、灰燼を果樹の根に散布するときは、夏期に至りて虫害を免ると言はる。この朝、商家に在りては夜半より賣初をなし、街頭雜閙を極む。 元日より三日に至る間を三ヶ日と稱し、高祿の士家に在りてはその家來・給人等、皆主人に對して年頭の祝詞を述ぶるを例とす。この際に於ける主人の服裝は熨斗目・麻上下を用ひ、家來・給人も亦之に同じといへども、家格により扶持方の者にありては熨斗目を用ひざるも無きにあらず。醫師は熨斗目・十徳を、中小姓・小姓は服紗小袖を着く。町方に在りても、大商家の主人にして番頭・手代・丁稚の年賀を受くる者あり。奧向にありては、年寄衆の夫人は苞入に結髮し、銀笄を挿み、緋縮緬の上着に帶を前結びとなし、地赤又は地黒の裲襠を着く。老女も亦之に準ずれども、中老以下近習の者は紋服の上に小散(コヂラシ)を被ひ、御次以下は紋服のみを用ふ。而して老女・中老・近習等皆夫人に對して祝詞を述ぶるも、御次以下に在りてはその事なく、男子にして祝詞を述べ得るものは、獨り奧用人と醫師とあるのみ。人持以下平士の家に於いても、亦その地位に應ずる儀式を行へり。