正月十六日、所々閻魔祭を行ふ。この日藪入と稱し、士家に召仕はるゝ下男・下女その郷里に歸り一泊す。方言に之を朝拜といへり。士家にては二月以降毎十六日に休暇を與ふれども、その外泊を許すは單にこの月あるのみ。町方に在りては、今日より二十日に至る間に藪入を爲さしむ。 正月十八日、十五日に炊きたる赤飯を殘し置き、十六日餠と共に粥となして食し、更にその粥の餘剩を貯へたるを、この日に至りて果樹に施すものあり。その法一人之を捧げ、他の一人は鉈を携へ、庭前に出で、果樹に對して鉈を振上げ『生(ナ)るか生らぬか』と詰問すれば、粥を持ちたる者果樹に代りて、『生ります〱』と答ふ。是に於いて少しく樹皮を剥ぎ、その粥を流し掛く。かくする時は當年の結實多きを得べしと信ぜらる。これを十八粥と稱す。 正月十九日、七面祭を行ふ。 正月二十日を二十日正月と稱し、元旦以降調理したる魚菜を食し蓋くし、その器物を藏むるを例とす。故に又骨正月とも乞食正月ともいはる。この日諸商人夷子祭を行ひて、營業の繁榮ならんことを祈願す。 正月二十五日、淨土宗開祖忌を行ふ。 二月朔日を重ねの正月と稱す。但し民間に於いて何等の行事なし。 二月二日、藩より扶持米を受くる者に、二月朔日より九月晦日に至る八ヶ月分を給せらる。この日武佐廣濟寺の寶物觀覽を許す。