二月十日、戸室山祭を行ふ。戸室山は河北郡に在りて、城下に用ふる所の石材多くこゝより出づ。 二月十五日を涅槃會となす。一向宗以外の寺院に在りては、涅槃の畫像を掛けて供養し、佛舍利に擬したる五彩の團子を作り、之を堂内叉は堂前に撒布して兒童に拾はしむ。女兒は美服を纒ひ、菓子などを携へ、寺院に詣でゝ終日手鞠を弄ぶ。 二月二十二日、聖徳太子忌。 二月二十五日、城下玉泉寺に於いて、蜀江錦の觀覽を許す。この日寳來寺に囃子謠あり。 二月中、初午に當る日には稻荷祭を行ふ。當日午の刻に當り、玄關前に手桶の水を運び、柄杓を以て三たび之を屋上に撒布する時は、火難を免るべしとせらる。この日又種々の初事(ウヒゴト)を行ふ。即ち三歳となりたる幼童に髮置を行ひ、男には兩刀・紋服・上下を、女には紋服を與へて着初を爲さしめ、又五歳の男兒に袴着を、七歳の女兒に紐落(ヒモオトシ)を行はしむ。紐落とは、衣服の付紐を廢して帶を結び、初めて裲襠を用ひしむるをいふ。同月上丁の日に孔子祭あり。彼岸には諸寺七日間に亙りて彼岸會を行ひ、その中日には七社の石鳥居を潜りて福運を祈る。此の際、或はかいげ柄杓を襟又は帶に挾み、一社に詣づる毎に之を以て口漱ぎ手洗ひ、最後に柄杓の底を祓き奉納して家に歸るものあり。蓋し避姙を祈るの意に出づ。 三月三日、上巳の佳節なるを以て、家々多く雛壇を飾る。女兒生まれて初めてこの節句に會する時は、その母の生家より雛人形を贈る。又その初節句たると然らざるとに拘らず、三月一日には必す菱餠・炒米・干鱈を贈り、三日には使者を遣はして祀詞を述べしむ。雛壇には内裏雛以下種々の人形を置き、御厨子黒棚・挾箱・貝桶等を飾り、膳部に蜆の汁を用ひ、桃・柳・椿等を挿花とす。この日男兒は女兒ある家の玄關に至りて、その雛壇を見んことを強請し、若し拒絶せらるゝ時は『ひんなちよつこし(少)べこべこせう、見ても見いでも土びんな、頭の禿げた内裏樣、尻の腐つた惠比須樣。』と嘲りて去るものあり。