四月十五日、石川郡大野湊神社に神事能あり。世に之を寺中の能と稱す。諸橋・波吉兩大夫隔年に技を演じ、出張の役人は先手物頭二人・歩横目一人・宮腰町奉行及び町同心とし、宮腰町付足輕は警固の任に當り、舟手足輕之を輔く。見所に棧敷又は外圍を設くることなく、四民隨意に觀覽するを許せり。但し古くは産子村民の爲に觀覽の地割を施しゝが如し。 五月五日を端午とし、俗に菖蒲の節句又は蓬の節句とも稱す。男兒出生して初めてこの佳辰に會する時は、幟・吹貫・小旗等を庭上に樹て、高祿の士家に在りては飾兜を作るものあり。屢江戸に來往する者の家に在りては、府内の風俗に倣ひて吹貫に鯉を用ひ、幟竿に風車を附するもありき。この日一般に笹粽を製す。そは細長き三角形の團子を大笹にて卷き、之を蒸したるものにして、五本を一束と稱し、實梗繩にて扇状に結はへ、二束を半聯、四束を一聯と數へ、親戚互に贈答せり。笹は前月末數里を距てたる山に入りて採集し、或は村婦野娘の振賣するを購ふ。笹粽製造の煩雜を厭ふ時は、單に小豆を附し又は大豆粉にまぶしたる同形の團子とするものあり。殿中の奧向にては、糯粳相半したる餠を五六寸の棒状に作り、眞菰を簀の如く卷くを例とす。この日の遊戲に菖蒲打あり。菖蒲を束ねて短く切り、細き麻繩にて緊縳し、士家の二三男又は若黨等之を携へて婦人の臀を打つ。時に石を菖蒲中に包みて重量を増すものあり。商家の婦女その難を恐れて武士町を通行するもの少し。戸々軒に菖蒲と蓬とを挿み、又は浴場に浮べて浴す。この日より單衣を着す。 金澤城内端午飾幟圖金澤市村松七九氏藏 金澤城内端午飾幟圖 五月十九日、所々に七面祭を行ふ。この月、猿廻の城下に來るもの多し。 六月朔日を氷室の朔日と稱し、又は單に氷室ともいひて、士民皆氷を食す。この日四ッ時より『氷々・雪の氷・白山氷』と呼賣するものあり。その氷は白山氷と稱すれども、實は醫王山附近に得る所の堆雪にして、白砂糖をまぶして噛む。又當日のみ製造發賣する鹽饀入の饅頭ありて、之を麥饅頭と稱す。炒りたる米豆、炙れる干餠など間食に供せられ、隨所に謠會を催す。その本歌仙と稱するは三十六番を謠ふものにして、夜を徹して翌日七ッ時に達し、各自その家より運ぶ所の辨當を開き酒宴を爲す。本歌仙よりも規模の小なるものに、半歌仙といひて十八番なるあり。この日、城下高源院に氷室祭を行ふ。