六月七日より十五日に至る間、諸寺に祇園祭を執行す。十五日石川郡宮腰に祭禮あり。同日城下金屋町長久寺に妙見祭あり。十八日大乘寺より五香湯を施藥す。二十四日石川郡大野に祭禮あり。同日卯辰全性寺に清正公祭あり。二十五日・二十六日羽咋郡妙成寺に法會あり。三十日同郡一ノ宮に汐滿神事あり。同日諸社に夏越の祓を行ふ。 この月土用中諸寺寶物の虫干を行ふ。又土用後より初秋に亙りて、彌彦婆々又は彌彦送と稱し、市中を巡りて惡魔拂を爲すものあり。金剛院・萬寶院・乾貞寺の眞言山伏合同して之を行ふ。五彩の旗を押立て、法螺を吹き、太鼓を打ちて行進し、經文を讀誦する者數人、その半は錫杖を打振り、舞手は白布を以て頭を包み、柹色の法衣と裁付袴とを着け、一人は笈に般若の面を納れ、一人は惡尉の面を有す。又附屬の人夫にして弓・鉞を携へ唐櫃を擔ふ者あり。若し祈祷を請ふ者あれば、武器を用ひざる舞料百八銅、弓・鉞の舞料百八銅の外に米二升、太刀の舞料百八銅の外に米三升を受く。その行法、例へば太刀の舞なれば、讀經者並立して錫杖を振りながら東方降三世明王云々の文を唱へ、外縳の印を結ぶこと三次。この間に舞手は假面を着け、直立の姿勢を爲し、左手に太刀の鍔際を握り、臨兵鬪者と九字の前半を切り、前進すること四歩半。次いで皆陣列在前と元の位置に復し、同時に太刀の鯉口を切り、中腰に捻りて天地左右を睥睨し、それより太刀を拔き、左右を切佛ふ等の状を爲し、舞ひ終りたる時は讀經者法衣の裡にて内縳の印を結ぶこと三次、錫杖を振り鳴らし、舞手は納めの九字を切る。之を彌彦婆々といふは彌彦佛の譌なるべく、越後彌彦山に何等かの關係あるにあらずやと思はるれども、今の彌彦神社にはかくの如き行事の存したる記録又は口碑を存せずといへり。