七月朔日を士家に在りては半納の朔日と稱し、商人は當年收穫せらるべき米相場を定む。この頃尚新穀は收納せられずといへども、知行高の半額は當日を以て收納したる名義となり、士家は之を賣却し得るを以てなり。されば士家に出入して勝手方と稱せらるゝ米仲買人は、來りて祝詞を述べ、若干の拂米切手賣渡を懇願す。これ半納期に在りては、米價常に下直なるが故に、仲買人は之を買入れて本納以後に賣出し、以てその差額を利せんとするなり。是を以て、家政の豐かなる士家にありては、單に祝意を表する爲僅少の額を賣出すに過ぎず。 七月七日を星祭とす。この日八ッ手の葉の裂片七個なるを選び、その表面に七夕の歌などを書し、二枚を重ねて葉柄を紙にて包み、河中に之を流す。或は八ッ手に代ふるに桐葉を用ふるものあり。又葉付の竹に『奉二星』などと書したる大行燈を貫き、四隅に紅白切紙の裝飾を施し、竹枝に短册を結び、朝顏提灯・酸漿提灯などを吊したるを作る。その小なるものに在りては、僅かに短册と提灯とを用ふるに過ぎずといへども、特に奢侈を極めたるものは、行燈を數層とし、その間を傘にて限り、傘の周圍に流水・鵲等を描きたる幕を張る。行燈中最下層のもの最美にして、文字を紅絹にて作り、その周圍を蛇腹の組糸にて伏せ、中層の行燈を糸枠形とし、土層を大筆の形にしたるが如きものあり。この萬燈は士家・町方共に造り、日暮るゝ時は犀川・淺野川に至りて河中に流す。而して各團體途上に衝突し、爭鬪の結果萬燈を破壞し、傷害を負ふもの頻々として起る。この日東西本願寺別院に花揃と稱し、立花・生花數百千を佛前に供する儀あり。大乘寺にては寶物の虫干を行ふ。