七月九日、四萬六千日と稱して觀世音の祭日とす。城下觀音院には賽客群參し、順禮の詠歌を高唱すること宵より曉に達す。この日玉蜀黍を炙り食すれば禍を免れ得べしと信ぜらる。葢し山崎美成の三養雜記に、四萬六千日は觀音欲日の一にして七月十日に當るとせらる。然れば金澤に於いて九日に行ふものはその逮夜なるべし。同書にまた、江戸にて此の日專ら玉蜀黍を賣ることは文化の末に初り、雷除の効ありとすといへば、金澤に於ける如く廣く除災招福の意義に解するものは稍轉化せるものなり。 七月十四日より盂蘭盆に入る。十三日、日暮るれば士家・町家の幼童犀川・淺野川の河原に集り、麻木の松明を焚きて死者の靈を迎ふ。之をしやうらいと稱するは精靈迎の譌なるべし。青年輩も亦竹にて三叉を組み、その中に種々の燃料と青竹の節あるものとを置き、火を放ちて爆音を發せしむ。この日狹小なる河床に多數者の集合するを見るも、元來死者を弔するを本意とするが故に、喧嘩口論する者あることなし。盂蘭盆中には醫師・師匠に前半年間の謝儀を呈し、僧侶・藏宿・用聞商人・召使等に祝儀を與へ、親戚知人間には乾鰍(イナガ)又は鹽鱈に瓜を添へて贈る。祖先の墓所に對しては前日までに切籠燈籠を捧げ、今日より三日間に參詣供養し、所々に盆踊を行ふものあり。十五日を中元と稱し、一月以降の貸借を精算し、索麪を調へて佛前に供し、家人亦皆之を食す。 七月十六日、町方にては下男・下女に藪入として歸郷宿泊を許す。士家にては毎月十六日に休暇を與ふるを以て、この日を重しとせす。天徳院内には閻魔祭を行ふを以て、薄暮より諸人參詣す。次いで二十四日に鳳至郡輪島の祭禮あり、城下養智院に地藏祭あり。 七月二十六日を二十六夜待とし、三光月待とも呼ばる。好事者屋上又は山中に月の出づるを迎ふるのあり。又は室内に在りて謠曲歌俳に耽るものあり。