八月朔日を八朔と稱し、田實の成熟を祀する日なれども、特殊の行事なし。この日羽咋郡富木に祭禮あり。十一日鳳至郡宇出津に祭禮あり。十五日は名月なれども著しき行事なく、稀に尾花を瓶に挿み、團子を三方に盛りて月前に供するものあるのみ。莢豆を鹽茹にして食することは一般に行はる。この日石川郡松任に祭禮あり、又所々に八幡祭あり。十六・十七日を石川郡粟ヶ崎の祭禮とし、二十一日を同郡鶴來の祭禮とし、二十五日を羽咋郡羽咋に於ける唐戸山の相撲とす。この月彼岸中諸寺に法會を營み、上丁日には孔子祭を行ふものあり。 九月朔日、今日より袷を着る。九日は重陽の佳節なれども行事なし。小兒菊打と稱する遊戲を試むるものあり。九日より綿入を着用す。十日乾貞寺に秋葉祭あり。十四日石川郡本吉に祭禮あり。この頃より茸狩を爲すもの多し。十八日より當月中、天徳院門前にて男女編笠を被りて踊る。之を下馬の踊と稱す。葢しその地、天徳院の下馬札のある所なればなり。十九日所々に七面祭あり。この月猿廻の來るもの多し。 下馬の踊・餠搗廻り圖俳書四時碧所載 下馬の踊・餅搗廻り圖 十月朔日知行取の士に、殘餘半額の收納米を下附せらる。之を本納と稱す。この日本納相場定まる。二日扶持米取の者に、十月朔日より明年正月晦日までの扶持米を支給せらる。 十月五日より十四日までを淨土宗寺院に於ける十夜とす。佛前に團子を供へ、萬遍念佛を唱へたる後之を參詣人に頒ち喫せしむ。十日を金比羅祭とし、船乘業者多く之に詣づ。十二日は芭蕉忌にして、俳諧者流追遠の爲に句筵を開く者あり。十三日、日蓮宗徒開祖忌を行ふ。御影講と稱するもの是なり。二十日、商家にては蛭子の像を祭り酒宴を催す。之を夷子講といひ、その前後に賣出を爲し、景品を添ふ。二十二日より二十八日に至るまで、城下專光寺に七晝夜の法會ありて、宗組親鸞に對する感謝の意を表す。之をお七晝夜とも報恩講とも稱す。二十八日、禪宗寺院に道元禪師忌を營む。この月上亥の日、牡丹餠を作りて神佛に供し、又鏡餠の如く重ねて紅葉を敷きたる上に載せ、亥ノ神に献げて子女の繁孳せんことを祈る。之を亥ノ子餠と稱す。この月誓願寺に辨財天祭を行ふ。