歳末に當つて藤内・非人の來りて米錢を乞ふ者亦多し。その師走狐と稱するものは、白布を以て全身を包み、又尾を垂れ、狐の面を被り、『來たわいな〱、師走狐が飛んで來た、一文もらへば來年までこん〱。』といひ、てんや尾右衞門は、男裝したるもの餠を搗く状をなし、女裝したるもの餠を返す状をなす。その唱詞に『てんやの尾右衞門、餠搗やどこや、餠搗やこなた、權太餠や飛びつく、大豆餠や吸ひつく、千貫萬貫萬々貫。』と囃す。てんやは店屋の義なれども、金澤にては餠の賃搗をなすものをいひ、權太餠は粳と糯とを交へて製したる餠なり。その他チヨロケン坊主は、大なる竹籠に眼鼻と舌を出したる口とを描きたるを全身に被り、兩側より腕を貫きて兩手に扇を持ち、他の一人は太鼓を以て囃し、シイヤイナは十五六歳の男兒にして、菅笠・呉蓙を着し、四ッ竹を囃す。皆唱詞あり。 この月、寒入に餠を食ひて邪氣を拂ひ・寒入より八日目に寒水を汲みて貯藏す。寒中三十日間金剛院・萬寶院・乾貞寺の眞言修驗等塞垢離を行ふ。初め法螺を鳴らしてその來れるを報ずる時は、各戸手桶に水を滿たして門前に出し、裸體の修驗は頭を桐油紙にて蔽ひ、腰に注連繩を卷き、呪文を誦しつゝかの水を頭上に注ぎて去る。これ鎭防火難の爲にして、紙に捻りたる十二銅を報謝す。寒中にはまた讀經若しくは歌謠を學ぶ者等、外氣に觸れて聲音を練り、角觝は力技を試む。之を寒稽古とも寒修行とも稱す。僧侶も亦寒修行の托鉢を爲し、僧侶にあらずして寒念佛を爲すものあり、或は寒參りを爲すものあり。