立春は臘月の中なることあり、正月に入ることありて、年々一樣ならず。この日神社又は武家にて追儺の式を擧ぐ。武家にては若黨上下を着け、惠方に向かひ圍爐裏にて大豆を炙り、之を桝に盛りたるまゝ箕に入れて左の脇に抱き、薄暮『福は内鬼は外』と呼びつゝ各室に撒き、その餘剩は之を三方に盛りて家長に捧げ、賀辭を呈す。但し藩士にして一千五百石を領する富永氏のみは、『福は内鬼は内』と唱ふるを例とし、又或家にては、炒豆を撒く聞に若黨の一人『赤頭(アカガシラ)にて候』と呼びながら庭前を馳せ廻るもありき。赤頭とは、能樂に於ける鬼畜が多く赤頭を戴くより起れるなるべし。間燈(マトモシ)を點じ福茶を喫することは、年越の夜に異ならず。茶釜に投ずる大豆の數は、十二粒なるあり七粒なるありて家々の慣習に從ひ、別に山椒の實を加ふるもありき。豆木を焚きて湯を沸かし、その蒸氣によりて釜の蓋の鳴るを喜び、『錢米金米、錢米金米』との祀言を唱へてその音に和す。茶を柄杓にて汲む時、かの大豆の入りたるを以て福運を得るの瑞兆なりとせり。この日、夜にかけて眞言山伏各戸に來り、竈前にて厄拂を行ふ。士人の俸祿を加増せらるゝことは隨時に行はるといへども、多くはこの月二十八日頃に於いてせらるゝを定例となす。 凡そ武家・町方に吉凶ある時、米錢を乞ふの特權を有するものに座頭・藤内・物吉等あり。座頭に對しては、その施與の額固より一定の慣習あることなしといへども、盲人の狂暴なる者意に滿たざるときは、多數を糾合して強請する者あり。是を以て、享保元年藩は嚴に之を戒め、且つ施物を受くるが爲に、座頭二人以上の同行すべからざることを規定して、檢校連名の請書を徴したりしが、後寶暦元年檢校等、先の享保の上書に不備の點ありしとて改定を申請し、以て永世の規範とせり。 於御當地座頭並に瞽女共に祀被下候覺 一、家買一、家作一、隱居一、家督一、官位一、役替一、嫡子・同二三男出生 一、嫡孫・同二三男出生一、袴着一、角入(スミイレ)一、前髮 一、婚禮養子之儀、末子に而茂、□人にても、雙方より御祀申受候。但聟養子之儀者、外に御部屋入御祝申受候。 一、御目見之儀者、三男迄に不限、御末子に而も御祀申請候。 一、七手御組御預り候祀。 一、御人持之御家、御家老に御成被成候御祀。並若年寄に御成り候祀。 一、女子出生一、嫡子疱瘡酒湯一、髮置一、御宮參一、鐵漿一、結納 右六ヶ條御祀之儀者、元來申請候所も御座候得共、未取來候故達而御願不申候。阿方より御祀被下候得者申請候。 一、御武士方御法事之儀者、寺え相納、寺より布施物申受候。 一、町方法事布施之儀者、年忌毎に申請候。尤寺に而執行仕候共、施主より申受候。 右諸方より御祀儀物申受候覺書、惣檢校定書を以御斷申上候筈に御座候處、享保元年田村檢校等書付を以御斷申置候趣等、聊相違之品御座候に付、今般相改、右之通申渡度奉存候間、何も御聞屆被下候樣奉願候。 以上。 寶暦元年十二月十七日上島檢校 竹山檢 町御奉行所 〔政隣記〕