又物吉と稱する一團ありて、石川郡廣岡村に住し、七兵衞といふ者に支配せらる。古くは乞食の癩病に罹るものあるときは、物吉之を收容して看護し、その死者ある場合は荼毘に附するを任とせり。家業は竹の子草履・下駄の鼻緒を作り、武家・町方に祀儀あるときは、その家に至り大聲賀辭を述べ、人をして嫌忌せしめて過分の米錢を受く。葢し物吉の名稱はこの地方にのみ限るにあらず。嬉遊笑覽に人倫訓蒙圖會を引きて、『物吉は竹の皮籠のすみぬりにはりたるを負て洛中を勸進に出る。物吉といひそめしより、縁起よしとて名付しものなり。其圖は癩人籠を負、手に棒を持たる乞丐なり。』といへば、初は癩人たりしものなるべし。物吉は素より藤内頭の配下にあらずといへども、同族漸く増殖し、生活亦困難となるに及び、朝夕城下に赴きて食を求むるものあるに至れり。かくの如きは藤内頭より乞食札を得て、その支配に屬す。廻藤内・非人頭も物吉と同一の場合に於いて施與を受く。 藤内・非人頭・物吉祝貰請候ヶ條書一件 覺 御武家御家督御新知御加増御目見御轉役 御門開御新宅御養子御婚禮御前髮 御角入御男子御誕生御袴着 同斷勸進年頭五節句盆暮兩度御祭禮氷室朔日 八朔 町家等御扶持方家賣買新宅附土藏縁組法事 役祀鑑板祀男子誕生前髮角入 養子婚禮袴着隠居讓り替愼御宥 同斷勸進年頭吉祝五節句氷室朔日八朔 兩度祭禮盆暮夷講大工山祭鍛冶祭 右之通かご屋・非人頭等夫々御祝等頂戴仕候。以上。 寛政二年戌七月藤内頭 〔藤内頭並廻藤内非人頭勤方〕