明倫堂の素讀生に用ふる教科書は四書・五經・小學・近思録・孝經とし、希望によりては春秋左氏傳の句讀を授くることありき。寛政六年以降四書の定本を闇齋點とし、五經は後藤點を用ふることに定め、天保十年に至り四書五經以外の素讀を廢せり。 明倫堂に於ける儒學の會讀は入學生をして之を行はしむるのみにあらず、別に入學生以外の諸士の會日あり。故に天保十年の修補によれば、會讀の種類を人持・大小將・句讀師・入學生・諸組の五種に區別せり。人持會讀とは、人持組の士及びその子弟と年寄衆の子弟の出席するものにして、會頭は教授・助教・助教加人の内一人をして當らしめ、訓導又は訓導加人一人之に隨ひて出席す。用書は四書・五經・左氏傳・通鑑・説苑・孔子家語・近思録・小學等とし、一ヶ月五回の會日あり。又大小將會讀は一ヶ月二回、句讀師會讀は一ヶ月十二回とし、諸組會讀は人持組及び大小將組以外の諸士の爲にするものにして、一ヶ月六回と定む。會頭・用書等皆相同じ。入學生會讀は多數の席に別ち、佳節朔望以外毎日之を開き、四書・五經を用書とせり。 講釋の用書は、時代によりて四書・五經以外、小學・孝經・左氏傳・通鑑・史記・七書等を用ひしことあり。天保修補の後は二七を以て會日に充てたるも、會日により聽講者の組を異にするを以て、個人より見れば一ヶ月一回に當れり。講師は教授・助教又は助教加人にして、用書は專ら四書・五經とし、年始には特に白鹿洞書院掲示を講ぜり。但し天保以前に於いては、大學三綱領を以てしたるなりといふ。又醫學の講釋は一ヶ月三回とし、傷寒論・金櫃要略・温疫論・溯集等を用書とす。その他易學・算術・禮法も、亦皆毎月三次の會日を設くといへども、此等はその師範たるもの、平常私宅に於いて教授する門下生を當日明倫堂に伴ひ來りて練習せしむるに止れり。