壯猶館に於いて教授したる學科は、炮術・馬術・喇叭・合圖・洋學・醫學・洋算・航海・測量學等なり。炮術は蘭式に始り、後英式に變ず。その間組頭又は奉行たる藩吏をして、算木等を用ひて備立・號令を練習せしむるの法あり。洋學は初め蘭學にして、炮術に關する原書を調査するが爲に之を讀ましめ、文久二年には已にその設ありき。同年六月又蘭法醫書の會讀を初め、從來明倫堂にて試驗したる蘭法醫は、この時以後壯猶館に於いてすることゝせり。同月館内に堋場を設け、炮術を修めしむ。又練兵場を館の内外に置き、鑄造場・彈藥製造所を設け、軍艦を購入し、之を壯猶館の各主務局に屬せしむ。航海及び測量學は文久三年に至りて之を課し、洋算は明治元年より開始せり。兵隊の指揮官を養成せんが爲騎兵法によりて馬術を練習せしめしも、亦明治元年に起る。喇叭の吹奏は、英式の調練に伴ふものにして同年に始り、元と軍螺手たりし吉田勝太郎・小島某の二人が東京より傳習し來りたるものとす。炮術の練習には常稽古と振退(フリノキ)稽古との二種ありて、一は毎日練習し、一は志願者をして六ヶ月間遞番操練せしむ。壯猶館にてはかく文武の學藝技術を練習するのみならず、火藥・兵器の製造又は購入の紹介をも行ひたりき。