達材舍は又達才舍とも記さる。漢學を專修する青年を教育する所にして、その生徒は悉く寄宿せしむ。授業は毎日朝五ッ時に初めて晝後七ッ時に終る。教科用書は春秋左氏傳・蒙求・孟子・小學・二十一史の類にして、生徒の希望により本課の外諸種の書を教授すとせり。舊時習館の誦讀程度に當る。 成徳舍は漢學を教授すること達材舍に同じといへども、その生徒は通學する者のみなるを異なりとす。明治三年四月七日改めて温知舍とせり。 啓蒙舍は男兒七八歳の者より入學せしめ、漢學の素讀を授け、傍ら習字をも教ふ。教科用書は孝經・四書・詩經・書經・禮記・易經の類とす。舊時習館の温讀程度に當る。 操練所は銃隊の操練を施行する所とし、歩・騎・砲・射的の四課に別たる。その四課何れに從事する者も、三個月毎に試驗を課して等級を進めしむ。兵學舍之に屬し、士官を養成す。操練書・軍事小典・築城典型・砲術新編・博物新編・輿地誌略・國史略・日本外史・十八史略等を教科書とし、級を分かちて三級とせり。 大聖寺藩の末期に於いて學政整理の任に當り、最も功績の大なりしものは岩田則正・平井元直・東方履・渡邊知行とし、藩侯前田利鬯も亦時々文武諸學校に臨み、勤勉を賞し懶惰を戒め、大に督促鞭撻する所ありしかば、一藩の學風大に振興するに至れり。