明治の初年學制の革るに及び、儒臣は悉くその印綬を解きたりといへども、二百八十年來の惰力一朝にして消盡すべくもあらず。遺老尚その家に在りて、句讀を授け經説を教へ、舌耕して日を送るもの少からず。又その一部は新たに起りたる小學校の訓蒙に任ぜられ、以て西洋式教育に轉ずるの過渡時代を成せり。藤田維正・杏立・野口之布・河波有道・瀬尾健造・中村貞・渡邊津平等の私塾に於ける、藤井愛成・藤井世均・松原一義の小學教育に於けるは、その主たるものなり。是よりして後、漢文は歴史文章を通讀し之が理解を期するに止り、經學に至りては全く迹を絶ち、僅かに二三好學の士の獨り自ら研鑽するありしのみ。漢學の衰頽是に於いてか實にその極に達せり。