綱紀の文學に關する事業中、最もその勞力と功果の偉大なりしものを圖著蒐集に在りとす。綱紀寛文初年を以てその志を立て、爾後捐舘に至るまで六十有餘年の久しきに亙りて、須臾も廢弛することなく、上は禁闕幕府朝紳列侯より、下は社寺士庶の家に至るまで、普く人を全國に派して採訪せしめ、財を費すこと鉅萬、和漢の書册を集むること無數。終に木下寅亮をして、『私儀も弱年の時分より博識心懸申候故、諸方の藏書共も隨分手筋を以て相尋見申候得共、中々御文庫の樣成珍敷書多聚申候は、先日本に有之間敷候。』と讃嘆せしむるに至れり。綱紀の書籍を蒐集するや、その購求する能はざるものは之を謄寫せしめ、而して後原本の紛雜せるものは之を整理繕補し、裝釘を加へ、櫃を作りて之を返し、以て百世散逸の憂なからしむるを期せり。東寺百合文書の如き、離亂を免れて今日に傳はりたるもの、全く綱紀の力によること、その書函の裏書によりて之を知るべし。 賀州太守從四位下左近衞權中納言菅原綱紀朝臣。遺使請謄寫當寺寳庫所用文書。弊寺感其好古許諾焉。終功之日。新造書櫃壹佰。見寄進當寺。以藏舊本也。因記其縁由於函葢遺于後世云。 于時貞享二年歳次乙丑冬十一月穀日東寺 〔東寺百合文書筐葢裏書〕 ○ 貞享二年歳次十一月日東寺 右賀州羽林所被寄進之也。 〔東寺百合文書筐葢裏書〕 綱紀の志、單に私藏を以て快を貪るにあらざりしを知るべし。葢し家康の奬學以後、書籍の蒐集を以て誇とし、一珍書の書林に出づるあれば百千金を投ずるを吝まざりしもの、各地大小諸侯に漸く多きを加へたりといへども、皆骨董として之を愛翫するに止る。綱紀の如きは水戸の徳川光圀・豐後佐伯の毛利高標と共に、修史・研究又は散逸防止を目的としたるものにして、その類決して多しとせず。