綱紀又忠孝の大義を天下に鼓吹するの志あり。寛文五年朱舜水の水戸侯に聘せられて江戸に寄寓するや、綱紀はその學徳並びに高きを崇び、五十川剛伯・奧村庸禮・古市務本等に命じて相尋いで就きて學ばしめき。また楠公父子訣別の圖贊を舜水に求め、剛伯をして之が史料を提供せしむ。綱紀の意固より父子が忠孝義烈の古今に冠絶するを表彰するに在り。同十年贊成るに及びて、狩野探幽をしてその圖を畫がしめ、舜水に託してその文を題せしむ。水戸侯が碑を湊川に樹てゝ、表に鳴呼忠臣楠子之墓と雕し、碑陰にこの圖贊を刻せしめしは、探幽・舜水合作の幅成りてより三十四年の後、即ち元祿五年にあり。世人之を知らずして、楠公を表彰せるは徳川光圀に初るとなすもの、綱紀や實に廡を貸して母屋を奪はれたるの感あるべし。舜水の文に曰く。 忠孝著乎天下。日月麗乎天。天地無日月。則晦蒙否塞。人心廢忠孝。則亂賊相尋。乾坤反覆。余聞。楠公諱正成者。忠勇節烈。國士無雙。蒐其行事。不可概見。大抵公之用兵。審強弱之勢於機先。決成敗之機於呼吸。知人善任。體士推誠。是目謀無不中。而戰無不尅。誓心天地。金石不渝。不爲利回。不爲害怵。故能興復王室。還於舊都。諺云。前門距狼。後門進虎。廟謨不臧。元兇接踵。構殺國儲。傾移鐘虚。功垂成而震主。策雖善而弗庸。卒之目身許國。之死靡他。自古未有元帥妬前。庸臣專斷。而大將能立功於外者。觀其臨終訓子。從容就義。託孤寄命。言不及私。自非精忠貫日。能如是整而暇乎。父子兄弟。世篤忠貞。節孝萃於一門。盛矣哉。至今王公大人。目及里巷之士。交口而誦説之不衰。其必有大過人者。惜乎載筆者。無所考信。不能發揚其盛美大徳耳。 歳在庚戌冬至後十日明舜水朱之瑜題 綱紀一生を學問技藝の研鑚奬勵に委ね、孜々として勉めて倦まず、八十二歳の長壽を以て終りぬ。その間招聘し、若しくは誘掖し、若しくは給祿したる文人學士は、その敷實に百に上るといふ。