澤田宗堅は訥齋と號す、平安の人にして、教を石川丈山に受く。寛文五年十二月前田綱紀に聘せられて、木下順庵・平岩仙桂等と共に藩の文學となり、祿三百石を食む。その子道玄は菖庵と號し、翌年亦出仕して儒臣に列す。同九年三月宗堅道玄を携へて江戸に至る。時に詩あり。 二十六日逮曉發金澤、雨中演懷。訥齋 去秋經江越。復登加府城。三冬遇雪色。半夜近潮聲。濫竿從南郭。倦遊似馬卿。索居杳無信。孤唫聊暢情。春風連日雨。浙瀝濕吾行。平原潦水漲。疊巒雲氣生。甞險輿丁慘。臨河驛馬鳴。焉借宜都石。鞭撻得新晴。 出加府菖庵 旅牕遊學眼。偏駭歳時遷。逈想東關驛。更辭北海天。曉雲分嶺上。春雨滴城邊。征路傚陶令。籃輿過野田。 貞享二年三月父子共に致仕して故山に歸る。宗堅詩あり。 老病官居北海濱。春風拂面馬蹄塵。一朝解印歸郷里。何處雲林應寄身。 宗堅の文は草書淵海の序に見え、獺祭にして而も語句に轉倒あり。その詩は幻猷にして、一讀嚼蠟に似たり。是亦時風の然らしめし所なるべし。