奧村悳輝、字は浚明、一名は宣、僴宇・耕心・誠齋等の號あり。人と爲り清貞雅操にして父に劣らず。未だ冠せざるより教を朱舜水に受く。悳輝の名は舜水の命ずるところにして、舜水爲に其の説を作れり。又誠齋記一篇ありて舜水の作るところなり。其の學たる誠に本づきて敬を主とし、言に發して行に徴あり。積學の功炳として見るべきもの多し。嘗て東照權現百年忌祭の時、諸侯皆禮使を日光に送る。悳輝加賀藩の命により其の使に充てらる。日光山内に古昔龍宮城より得たりと稱せらるゝ鐘あり。銘文險恠にして未だ讀み得る人あらず。諸侯の使悳輝の學名あるを聞き、之を讀まんことを乞ふ。悳輝口に應じて之を讀むこと流るゝが如く、四座愕然たりき。其才學以て知るに足る。悳輝亦詩を嗜む。未だ圓熟の境に到らずといへども、必ずしも味なきにあらず。 予邇日欲扈從邦君赴東武。初秋二日。訪義門源兄別莊。談話情親。不知到夜。 懇欵酩酊。欣逢勝餞。況復室中芝蘭。池中藕蕖。色香悦視聽。既而翌日被示盛 藻一章。不得默止。次芳韻呈几右。 昨日登龍高會盛。新涼雨後愜詩門。主人別有蘭蓮美。馨徳清風近水軒。 萬松山永福寺鐘銘 永福之寺。高松之名。林樹蔭茂。山岳崢嶸。法筵既盛。鳬鐘新成。百八聲裡。鍠鍠夢驚。二六時中。點點心清。豐嶺霜冷。竺土月晴。尊靈如在。神魂聚精。□□□□。孫子繁榮。祭祀不絶。永致敬誠。元祿五年十二見廿一日 是等の詩、敢へて採録するに足らずといへども、その人と爲りの愨實毫端に露はるゝを見る。寳永二年四月歿す。