前田誠明、字は似閑、通稱左京、七日市侯前田利豐の第四子なり。綱紀の族たるを以て、請ひて加賀藩の臣となる。人となり風流、居恒詩を好み、常にその空知閣に端座して沈吟す。一時本多政敏・岡田重元・伊藤由貞等と相徴逐し、數〻宴をその閣上に開きて詩を賦す。格調老蒼一種の氣味を帶ぶ。 篠原懷古 蕎里一堆懷舊切。怒潮千載北溟風。首懸松老餘青操。鬂洗水深貫白虻。志異買臣加錦繍。齡如呂望匪羆熊。篠原戰破終無頼。悔使源軍出越中。 新正 四十九年非不疑。鞠躬新覺世間癡。盪胷渉雪成春意。可笑老梅花較遲。 本多政敏、字は澹靜、鶴夢・天淵・臥僊等の號あり。其の居を仙遊臺と稱す。家世々國卿たり。政敏の學、正心誠意の工夫に於いては奧村庸禮・悳輝父子に抗する能はずといへども、その錦心繍口の詞藻に至りては遙かに二子の上にあり。葢しその尚ぶ所は鏡花水月の意境にあらずして、尖新奇巧の生面目を開くに在り。故に規矩を范石湖・楊誠齋に執り、二百年前既に他年世人が宋元の詩風に趨くの先鞭を著く。その先見の明激賞するに堪へたり。政敏また大乘寺の月舟・天徳院の月坡・黄蘗の高泉等と方外の交をなし、臨池の技に工みにして縱横圓通中華名家の風あり。小白山の本地堂・大乘禪刹の浴室及び能登小島大悲閣の扁額の如き、字々飛動、筆情神に入ると言はる。 楓林月 秋來乘興放吟軀。憐見紅林欲暮殊。寫出月規以何比。珊瑚枝上挂銀珠。 展野田靈廟 感時秋日暮。浮世恨無常。尋友一年裡。十人八九亡。新碑添寂寞。古塚自荒涼。藂露濕衣到。悲思使我傷。