本多政冬、字は仲貞、文峰又は龜居子と號し、その居を藏六窩といふ。政敏の弟にして、國政の暇亦詩賦を好み、同胞相唱和す。詩風は則ち鳥山芝軒を慕ふ。 新歳作 偶逢東海春。且喜作吟呻。嫩柳依覊客。早梅慰野人。松枝横日影。竹色自天眞。常以國家穩。偏思風俗淳。送新兮迎舊。送舊兮迎新。新舊無涯處。幾回祝此辰。 鞍岳懷古 昔時戰士功成後。千載勇名空見山。遺跡猶憐鞍嶽上。浮雲變易共時閑。 前田知雄、通稱大學、修理知頼の男にして、相尋ぎて執政たり。知雄は南窩と號し、記性ありて歴史を背誦す。詩は則ち父子並びに懦弱にして氣骨に乏しく、賞するに足るものなし。知雄の弟に半七郎直喬ありて夭せり。その詩力兄に及ばざること更に遠し。 乙丑中秋無月知頼 今宵對月欲求明。雲滿旻天不解晴。想像萬家詩酒興。樓中隱几至深更。 冬日山居知雄 東門一度自懸冠。已足三旬九日餐。積雪山中人不到。窗前夜夜月光寒。 村井親長、通稱出雲、信齋と號す。身國相に在りといへども、貴權を挾むことなくして能く儒生に下り、羽黒成實に從游して講經を本領とす。詩賦の如きは彫蟲の末技と爲し、敢へて之を作るを屑しとせず。故にその遺什今に傳はるものなし。