九里將興、字は孟祥、元祿中馬廻頭となる。人と爲り任達豪宕にして細行に拘らず。恒に國卿大夫と詩を以て交る。然れどもその才未だ圓熟せず、句句時ありて支離を免れず。將興その園を至樂と名づく。貞享三年園中の垂枝櫻盛に開き、玲瓏玉を欺く。乃ち花下に宴を設け、奧村庸禮・前田知頼・富田重治・原元寅・奧村英定・野村重威・源貞廣等を延きて詩を賦す。五十川剛伯便ち之が序を作り、以て李青蓮の桃李園に比す。一時傳稱してその風流韻事を嘉賞せり。 草堂即事 茆亭一池上。小宴拂書牀。煮茗時消暑。浮瓜忽引涼。風來知水潔。雨過覺蓮芳。賓主有何樂。含毫寫短章。 庄田正守、初の名は考叙、鼓缶子と號す。奧村榮政の老臣なり。故ありて仕を絶たれしが、承應三年前罪を赦されて榮清に仕へ、遂に前田綱紀に臣事し、老後夕齋と號す。正守文藻あり、又和歌を能くし、且つ鈴韜を有澤永貞に學ぶ。永貞修辭に嫻はず、故に文の重んずべきものに會へば正守をして代り筆せしむ。その作るところ甲州武田家四將圖傳・奧村榮尚所藏戎器來歴の如き粲然見るべし。貞享二年歿す、年七十二。 夢亡兒通知 昨夜夢亡兒。清揚平日姿。自言沉痼瘉。或出仕途馳。付囑保生訣。嗟嘆鞠育虧。屋梁纖月落。簾外淡風吹。方寐摽然辟。猶存彷彿疑。即今端午曉。將近小祥期。枇杷愁涙顆。楊柳斷腸枝。蕉鹿驚心世。杜鵑泣血時。綿綿思往事。何處見通知。 津田孟昭は正眞の子なり。老後の名は義門。仙令と號し、その居を嘉樂亭又は温故齋と名づく。食祿一萬石。人と爲り倜儻にして、五十川剛伯に從學す。元祿八年七月涌浦温泉に浴せる紀行の詩三十五首あり、能く其の地景を寫す。剛伯後序を作りて推賞措かず。又鳥山芝軒の知る所となる。 新竹出墻 連日黄梅雨。露團滴碧篁。新梢漸解籜。嫩葉既過墻。陰薄月猶潔。聲清風更涼。要知此君意。直幹正蒼蒼。 螢 數日病床都廢事。起來耀耀照幽庭。因思往昔盛嚢去。徒耻背書賞夜螢。