林弘道、名は玉汝、字は成夫、青丘又は龍野と號す。通稱孫太郎。人と爲り魁奇傲邁。その六經に於けるや、從頭直下桑門の佛典を誦する如く、以て俚耳を驚かす。弘道又世儒を痛罵して假さず、徧く古今の事態に通じ、凡そ漢土の竹帛に載する所より、本朝の典故記事、和歌者流の言辭に至るまで該博遺す所なし。而して文章は則ち英發超絶、葢し當世の學士も、その機鋒を避くること三舍のみならず。實に卓然たる快儒なり。惜しいかな天年を假さず、未だ壯ならずして歿す。或は曰く二十五と。享保・元文の間の人。 登大悲閣 騷人相伴梵王宮。霜落四山萬木紅。又恐明朝秋色減。溪雲欲雨滿樓風。 大澤猶興、通稱忠左衞門、字は士傑又は基甫。閲耕窠・水南潜夫・四水又は君山と號す。初め藩臣多賀信濃に仕へてその家老となり、祿七十石を受けしが、元文四年致仕して石川郡増泉村に住せり。猶興學を羽黒成實・伊藤由貞二人に學び、著す所耕窠集・君山詩草あり。寛保二年九月七十餘歳を以て歿す。 秋日集建山人宅 高樓美酒百憂消。醉舞蹁躚雙袖飜。秋後枯藤懸赤岸。檻前脩竹上青霄。西風吹霽今朝雨。北海欲來八月潮。且喜豪英文飮會。不將舊識遺漁樵。