奧村忠順は通稱を彈正といひ、亦室門七才の一なり。字は履信、一字は伯亮、盈進又は竹溪と號す。詩賦は頗る嗜好せりといへども、その佳なるものを見ず。和歌に至りては乃ち之を善くせり。 賦得竹裏啼鶯 千里春光藹曙輝。先看黄鳥向人飛。和鳴一曲眞堪愛。萬竹陰陰緑四圍。 山根直廉、字は敬心、通稱を勘左衞門といふ。初め羽黒成實に學び、後鳩巣の門に入りて七才の一となる。直廉經學に深邃にして徳行高く、鳩巣之に敬服せり。然れども詩賦はその好む所にあらず。 以上大地昌言を除き、他の七人は所謂室門の七才と稱するものあり。何れも經學或は詩賦を以て當時の人士に鼓吹せるもの、その斯文に貢献せる所少からず。而して七才の外尚群聚せる桃李の中、經學詩文に名を馳せしもの少からず。加藤重之、字は子厚、謙光齋と號す。野村重威、字は孟固、謀野と號す。山本基庸、字は子遠、龜井庵と號す。石黒知幾、字は愼微、修身齋と號す。成田明遠、字は養晦、遜宇又は濟志齋と號す。稻重安根、需齋又は意閑と號す。其の孫秀賢、字は子鑽、號は洗心。松崎禮和、字は尚徳、號は翠屏。小堀永頼、號は牛山。山崎長質、字は好義、號は臨皋。熊谷敬直、字は子徳、號は止齋。並びに山脇敬美一名侃、字は伯玉、號は柳浪。大河原長發字は維高、號は臨川。佐藤弘道字は士毅等數十百人、一々擧ぐるに遑あらず。然れども其の作る所の詩賦は、いづれも平板淺薄にして諷詠するに足るものなし。彼等が經學の才亦略想見すべきなり。 生駒直武、字は君烈、通稱を内膳といひ、柳亭と號す。萬松樓はその讀書の所なり。伊藤祐之に從學す。嘗て四書集註四聲辧疑二十五卷を著し、又觀文堂四書講義六十卷・柳亭集等の著あり。直武閥閲の家に生まれ、馬を馳せ武を試むるの暇、經史を討論し吟咏自適す。その人と爲り洒脱風流なること以て知るべし。 夏日讀書 梅雨漸晴萬里天。薫風吹面思悠然。唔咿聲裡午陰永。獨坐案頭對聖賢。