山村直温、字は徳基、竹坡と號す。本姓は大江、匡房の後裔なり。祖父直昌の時より來りて加賀藩に仕ふ。嘗て眼疾を抱くを以て勤に服せず。家居して文を論じ詩を賦し、死に至るまで止まざりき。 老儒 儒士老猶健。積年學有餘。多才知鳥獸。博物辧蟲魚。偏守宣尼道。更除釋氏虚。何憂双眼暗。欲曬腹中書。 是れ即ち自ら道へるものなり。 朝倉景純、字は粹夫、東軒と號す。詩を作ること數千首に及び、その筆を下すや推敲を用ひずして一氣に呵成す。故に瑕疵の默々たるものありといへども、毫もこれを顧みる所なかりき。 老馬 聞説大宛良馬生。査牙痩骨老邊城。四蹄已倦神猶健。双耳漸垂眼尚明。雪裡放來偏覓迹。風前嘶去只隨行。昔時乘汝多功績。伏櫪空懷千里情。 景純子あり、嶽といふ。白雪と號し、亦詩を好む。 九日宴奉和主人鑑湖幡公示韵 勿言斜日在籬邊。佳節勝遊不極年。竹密林頭簡傲意。地深世外逍遙篇。新詩投老猶成癖。故友非秋自耐憐。依舊黄花盃裡趣。醉來孰與酒中仙。 生駒直武以下皆伊藤祐之の門に出づ。其の他尚今村景忠號は石崖、中川因胤號は信亭等あり、皆學窻を同じくす。 飜つて前田綱紀の世に於ける庶人の間を通觀するに、一二好文の徒なきにあらず。左に列せるものは、その最も名あるものなり。