臼田香、字は升寂、竹老・葉山又は陽山と號す。美濃の人。伊藤仁齋の門に遊び、古學を爲すこと十有餘年。程朱を排し、徂徠を斥け、最も能く論語を談ず。その詩は則ち神氣雄翥筆端靈活。嘗て金澤に來寓し、深山安良等と風交あり。論語概論を著す。 醉後作 永夜清樽麯米春。醉後伏櫪臥沙麈。三千年後通三代。六十州中寒一身。寧羨登壇説君王。好應耕野稱天民。醒知往事多蹉跌。終懶搖脣謝世人。 伊藤嘏、字は純夫、石臺と號す。祐之の子にして本多政行に仕ふ。明和八年藩主前田重教の徴す所となり、儒官に列す。寛政三年八月江戸大風ありて、瓦を飛ばし木を倒す。時に重教命じて大風の詩を作らしむ。長篇にして能く當時の状を盡くせり。 避暑應命 炎赫入秋雲樹重。天涯猶未歛奇峰。水郷日落棲沙鳥。山谷氣蒸欲雨龍。座貯氷盤搖翅扇。興移桂楫採芙蓉。清涼別有舟中好。晩色深潭露亦濃。 賀古清廉、字は伯操、通稱群吾郎、鏡湖と號す。伊藤嘏の門人なり。性愿朴にして飾らず。その學考亭の宗派を固守し、詩も亦終身廢せず。然れどもその作る所蕞品にして、甚だ佳ならず。 應教賦上池上龜 泥中曳尾石腸兒。偶網漁翁移玉池。幸得性靈遊水上。遐齡萬歳樂無涯。 岩城白、字は子明、家を鹽屋、通稱を清五郎といひ、又泰藏と稱す。能登七尾の人にして、家世々海參問屋を業とし、傍ら學を好む。白その商事を以て長崎又は大坂に往復するや、苟くも名聞あるの士は、刺を通じて益を請はざるなし。時に龜非道載の門に入りて經義を修し、道載後に友として之に接せり。白寛弘にして寡欲、清雅を以て樂とす。安永二年家を弟眞に讓りて老し、同五年五月歿す、年四十四。その碑文はまた道載の撰ぶ所なり。