林瑜は澁谷潜藏の次子なり。字は孚尹、通稱を周輔といひ、蓀坡と號し、出でゝ林翼の家を嗣ぎ、明倫堂の助教となり、藩侯の侍講を兼ぬ。その詩は平淡にして、而も間々雅典のものあり。文亦見るべきもの多し。傍ら畫を能くす。天保七年七月歿す、年五十六。著す所、晩晴閣詩文集・梧窻詩話は已に世に刊行せられ、正學旨歸・詩小撮・尚書通讀・讀朱要語・螢窻漫筆は皆家に藏せり。瑜又文政五年初めて明の洪自誠著す所の菜根譚を重刻し、これを同志に公にして傳寫の勞を省けり。 登三湖薹 湖光山色暮悠々。水寫煙描一幅秋。滿眼詩材誰領略。斜陽影裏少時留。水碧樹紅秋色闌。望中恰作畫圖看。風流爭似西湖長。如此江山著句難。 甲戌仲冬題自畫山水圖 萬頃長江數疊山。望中景物雨餘閑。平波浮碧借秋拭。疎樹渲丹映日斑。香靄微茫人影遠。叢蘆蕭瑟鳥聲還。悠然獨坐水樓晩。心在月情無思間。