大島維直、字は無害、通稱忠藏、贄川と號し、所居を三古堂といふ。越中魚津の人なり。その叔父金澤に在るもの、之を養ひて子となす。維直年二十三にして昌平黌に遊び、業大に進む。是を以て寛政四年召されて明倫堂助教となり、文政十二年遂に進みて都講となる。是に於いて益感奮し、將に大に學制を振興せんと欲して積弊を改め缺漏を補ふの議を上る。維直又經を藩侯に説くや、善を闡き邪を閉ぢ、毎に規諷の意を寓せり。天保五年七月老に因りて致仕し、九年閏四月廿九日歿す、享年七十七。維直學經史を貫き、洛閩の説に於いて造詣最も精到、一に綱常を正し世用を裨くるを念とせり。 偶題 殘軀叨朝恩。三古銘陋室。園映醫王霞。牕下巽樓日。植松風倐來。導水聲從出。煙樹龍野連。雲山登州遹。不邀馬頭塵。獨擁研北盧。有孫堪樂老。無事迺爲逸。曾經海嶽險。今留樗櫟質。憖遺兩三友。半開第八秩。感物時起吟。消間本無律。魯直四休言。愛之恐遺失。歐公六事號。未傚身居一。二疎何煩煩。誰識此終吉。 到新潟舟中 寒溪十里荻蘆秋。兩岸清風一葉舟。挽日遠村渾不見。月升東嶺第三頭。