深山忘言、安良の第四子なり。字は得意、台州又は育王山人と號す。計吏にして詩を好み、亦畫を善くす。然れども放蕩にして禮節に嫻はず。飮博の爲に資産蕩盡し、私贓日に成り、遂に能登に謫せらる。後赦に遇ひて歸り、寒鵶坊と號せり。 冬閨怨 空閨雪月照寒帷。夢値征夫粧畫眉。情語未周覺逾切。裁衣夜夜獨無私。 津田鳳卿、通稱亮之助、字は邦儀、梧崗と號す。享和三年明倫堂講師加人となり、文化元年助教に擢でられ、文政五年書物奉行に任じて金谷文庫を管す。鳳卿乃ちその藏弃を整理して藩の賞賜を受く。鳳卿和漢の書に於いて渉獵せざるなし。是を以て藩中の士庶、典故の明らかならざるものあれば就きて之を問ふ。鳳卿諄々として答へ、盡くさゞるものあれば討究日を重ね、之を得ざれば措かず。特に能く韓非子を讀み、韓非子解詁全書二十一卷を著す。其の他著書多し。曾て藩侯の命を奉じ、古文書を蒐集して汲古合編十二册となす。又能く史蹟を踏査し、遊三國嶺記・掠部考古遊記・笠岡御遊記・大野郷訪古遊記・遊梅田洞記・蟹谷郷遊記・石川訪古遊記あり。又前田齊廣の時渡邊栗・長井在寛と共に命を受けて皇朝百代通略の編纂に從事す。齊泰の時に及んで略成る。今稿本百餘册あり。然りといへども詩はその本領にあらず。弘化四年四月廿五日齢六十九を以て歿す。 退筆家之銘 大漢畫功臣乎麒麟。有唐圖名將乎凌煙。皆所以示思其有功而沒世不忘也。臨池家於筆研也。亦猶如斯乎。龍山安田先生。書名傳家。螢雪廿年密勿不措。乙亥適京謁持明藤公。盡其訣而歸。又溯稽晋唐之跡。心嚮甚高。遠近請書門閣榜者。率無虚歳。於古祠名藍題署略遍。如加州一宮。小丸山神明。小坂神田祠。梅林玉泉感應聖廟。卯辰普門殿。石浦慈光。八坂妙義。來教金毘羅榜。可以觀其心畫遒美也。頃者門人收其退筆。而封之于龍山之麓。窃比之麒麟之跡。來請予銘。予曰有心哉其爲之乎。非待咎犯臨河之言而然也。又使先生親見爲虞永興之所爲矣。嘗聞前後及門者三千二百餘人。今乃參與斯擧者。可謂善體先生之心。而克續古之人也乃銘曰。 秇苑奉職。汝與有功。吾欽舊徳。就封東域。龍山連嶷。千秋可式。