江尻成章、通稱を雄左衞門といひ、蓊松と號す。能登鳳至郡門前の人なり。天性秀拔、朱子の學を墨守す。少壯にして頼山陽に師事し、學業大に進む。山陽之を推稱して遂に日本外史編纂の事に與らしむ。成章最も皇朝の學に精しく、著す所、皇系漸移纂疏・名家系圖纂疏あり。又詩文を能くし、一時の名流皆其の友たらざるはなし。已にして郷に歸るや、風騷を以て聞え、門人頗る多かりき。慶應二年歿す、享年七十一。 追思洛南伏見梅谿之遊 從探伏水早梅春。坐臥年々費想頻。一夜東風吹熟夢。夢追風信契花神。 安田順成、字は元藏、竹莊又は香島居士と號す。能登七尾の人。好みて書を讀み、經史百家に通じ、藏書數萬卷に上る。その文庫を香島文庫といふ。順成曾て京に遊び、醫を小森桃塢・新宮涼庭に、洋書を小石檉園に受け、又儒を貫名海屋・篠崎小竹に學び、後郷に歸りて刀圭を業とし、明治四年歿す、年六十五。 庚戌元旦 野芹未敢献王公。髩髮斑々欲作翁。萬卷藏書一壺酒。衡茅無恙又春風。 丙寅仲秋四日將赴金澤。未到今濱驛里許而已日昏。口占。 譯舍猶除已日沈。林風歛處氣蕭森。秋蟲爲我作天樂。如磬如笙又似金。