横山政和、字は敬夫、蘭洲は其の號。幼名政次郎、後藏人と稱し、又多門と改む。父は政孝、母は蘭晼。政和天保五年を以て生まれしが、三歳にして父を喪ひ、二十歳にして藩の家老となり、後小松城代を兼ぬ。明治元年執政に擢でられ、同班本多政均と力を協せて藩制を釐革せしが、二年政均の卒後政和專ら事に當り、尋いで金澤藩大參事に任ぜられ、藩の廢せらるゝに至りて罷む。後神道教導職に補せられ、又氣多神社宮司に任ぜられしが、皆之を辭し、晩年白山比咩神社の宮司となり、明治二十六年六十歳にして逝去す。政和至誠忠直、學を好み吟咏を善くし、又本草を究めて花卉を栽ゑ金石を蒐め、以て自ら娯めり。老後白山祠頭山秀水明の境に家を築き小園を開き、晴耕雨讀悠々日を送り、貧に居りて晏如たりき。著す所環水樓詩稿十四卷・文草・國雅各若干卷あり。 庚午元日試筆 律回臘盡斗柄東。藹々祥靄萬戸同。心足時知人間閙。限閑且見化工公。籬邊壓竹去年雪。窻外吹梅今日雪。昭代鴻恩無所答。漫然舉首向穹窿。