東方屯、初諱は由賢、又は望、通稱宇左衞門、字は滿卿、祖山と號す。釆地百二十石。幼にして聰敏讀書を好み、刻苦して經史を學び、古今の制度を知る。少時江戸に役し、山本北山の門に入りしに、北山は屯を稱して君子人なりといへり。祖山筆記録・刑法原始録等の著あり。文化十年六月二十五日歿す、年六十六。 題氿園 一闢山林卜小莊。看君弄景興情長。生雲嶺入繙書戸。帶月灣當煮茗牀。通筧植梅多曲直。置籬編柳信低昂。誰言此裏無餘境。阡陌馳眸百里強。 大野世禮、通稱作之丞・才記、魯山と號す。明和七年家を繼ぎ、釆地百八十石を領す。幼にして學を好み、叔父大幸清方・樫田玄覺を師とす。世禮安永九年藩主前田利物の時割場奉行となり、天明四年近習頭・持筒頭に轉じ、利考に至りて用人となり、後に馬廻頭に進む。文化六年正月致仕の後魯山を以て名とし、十三年十一月十一日七十九歳を以て歿す。