又淺加久敬あり。和歌を善くし、古今の掌故に通じ、徒然草を讀み、古今の諸註を對比參校して、之を和漢の群籍に併せ稽へ、精を凝らし思を竭くして徒然草諸抄大成二十卷を作る。貞享五年成りて之を綱紀に上る。綱紀一閲して曰く、精は即ち精なりといへども何ぞ道義に裨益する所あらんや。且つ徒然草は全く兼好の獨力に成るにあらずして、今川了俊の編次に係るといふにあらずや。久敬惜しむらくは力を聖典に專らにせずしてこの俗書を愛すと。綱紀は時人と選を異にし、百般の學究めざるはなかりし人なり。而も彼にしてこの言ありしもの、以て當時の學風を見るに足る。 寛文六年、田中一閑京師より來りて、前田綱紀に江戸に仕へ、神道學研究の端緒こゝに始めて開かる。一閑は吉川惟足に從遊して、唯一神道の秘蘊を傳へたるものにして、貞享二年初めて江戸邸に於いて神代卷を講設せり。一閑の子式如亦惟足に學び、識和漢を綜べ、伊勢物語の解釋に於いて最も詳しく、又音韻の學に通じ、名聲都鄙に普し。貞享二年來りて加賀藩に仕ふ。その著倭語小解五卷は音韻學に關するものなり。 その他水島右近あり。中原職俊あり、その子職資あり。伊勢貞意あり、その子貞廣あり。皆有職故實に通じ、或は京師に在り、或は來仕して綱紀の諮問に應じ、その研究を助く。 若し夫れ室鳩巣を初とし、その門人青地齊賢・青地禮幹の如き、經學詩賦に秀逸なる人にして、兼ねて國學に精通し、その筆に成れる國文にして、道義の指南車となり、徴古の資料となるもの決して鮮しとせず。兼山麗澤秘策・可觀小論・浚新秘策の如き、それ然らずや。その他由比勝生あり、今枝直方あり、山田四郎右衞門あり、大野木克明あり、森田盛昌あり、土屋義休あり、馬淵高定あり、九里正長あり、或は史實の雜録に、或は制度の隨筆に、或は地誌の叙述に、各据拮黽勉して筆を馳せ翰を驅り、以て綱紀が治世を粉飾せり。