又元和八年藩侯前田利常以下の詠じたる連歌一卷あり。その發句に御上とあるは將軍秀忠にして、この連歌を興行したる六月十七日は、秀忠の女にして後水尾天皇の女御たりし和子が深曾木の祝を擧げたる翌日なるが故に、亦之を賀するの意に出でたるやも知るべからず。この連歌に利光とあるは利常の當時の名とし、その脇句を賡げる龜鶴は利光の長女にして時に十歳、犬千代は光高にして八歳、千勝は後の富山藩祖にして六歳、宮松は大聖寺藩祖となれるものにして五歳なるが故に、是等の句は皆代詠たりしなり。 元和八年六月十七日 賦何路連歌 涼しさのこゝろの松や千代の陰御上 みどりそひゆく門のわか竹利光 さかえすむ宿はいらかのかさなりて龜鶴 つくるやひろきみぎりなるらん犬 千 代 友鶴のなれよる池の水きよみ千勝 いはほづたひのひかりしづけし宮松 月もたゞ色にやなびくを田の原御萬 さかりしらるゝはなの萩がえ御 ふ う すゑも猶はれゆく霧のまがきにて惣代 こてふ吹きたつ野邊のあき風能舜 草むらの下もえやまだあさからん久悦 雪のこりぬるみちのかたはら能運 (下略) 〔男爵前田氏所藏〕