板津檢校、通稱巽一、諱は正的、國學に通じ、和歌を能くし、又連歌を脇田直賢に學ぶ。綱紀の幼時より、その左右に近侍し、切磋に勉めたりといふ。著す所、正的筆記一卷あり。 獨吟百韻連歌序 今年寛文戊申の秋九月、板津檢校巽一謹而白山大權現の廣前に、愚なる懷ひの百句を述て御法樂に備へ奉る。其祈る壽詞は、加能越三國の太守正四位下左近衞中將菅原綱利公武運長久に、國家繁榮にして諸願成就の冥助をまもらしめ給へ、抑太守ひとゝなり忠信温恭にして神明をうやまひ、古を尋ね新をしる。守文諸民仰望まずと云事なく、是神の照覽あり。夫當社くゝり姫の尊妙理大權現、此御山は扶桑の艮にあたる。千早振神代のむかし、いざなみのみこといざなぎの尊を追て、根の國に出まし〱し時、此神御物語有しを深き故あらんと書に記す事、其理妙なる哉。誠に其神徳大八島の外に流れ、ありその海の濱の眞砂を有數にせんも猶つきずまじ。和歌の道に專この神を仰事、奈良の葉の古きためしのみならず、いにしへ今に及てなほたうとみ奉る。宗祇法師此峰によぢのぼる事有にや。『天照す神のはゝそのみ山かな。』是ぞまことにくゝり姫をいざなぎのみことゝ仰ぐ成べし。麓より十數里を經てはげしき岩根、此たに草の中にわれはがほなる柞原數多所有となん。祇翁是を見て思ひよれるなるべし。また此山に菊の花の深谷有となん。其したゝり川と成て加陽の府に出、此水を汲て酒をかもするに芳き美味あり。呑ものよはひをのぶるゆゑに菊酒といふ。偏に權現の加持力なるべし。此菊や萬代の花の種成べき。神のみ名さながら此花に有。是をよそへて發句となし、廣前に納奉り。和光同塵の神和をむかへて、つたなきながらも祈る心の誠をしろしめし、ときはかきはに三國の太守のかたちにかげのそふごとくに、夜るの守晝の守にまもりさいはひ給へとぞ。 花の名をきくは白山の神代哉 (以下略)