伊勢貞意、通稱監物、舊と地下の官人にして有職故實に精通す。延寶五年前田綱紀に來仕して歳俸百人口を受く。元祿十四年鞍鐙之記一卷の著あり、寶永四年歿す。貞意の子に貞廣あり、通稱は右京。元祿十六年太刀作の記一卷を著し、父の歿後その祿を繼ぐ。享保七年歿す。 中原職俊、別に平田大匠とも稱す。地下の官人なり。延寶九年綱紀に祿せられて二百石を受け、本邦の典故を究め、命によりて職原家傳秘録十三卷を撰す。貞享四年の東山天皇即位式の起し圖の如き、今前田氏に藏して精緻巧妙入をして驚歎せしむるもの、亦職俊の指導に因りて作る所なり。正徳元年歿す。職俊の子職資は、別に平田内匠と稱し、又地下の官人たり。元祿十四年兼ねて綱紀の祿する所となりて歳俸百人口を食み、續紹運録・諸家官位次第・大内裡圖等を編せり。 菅眞靜、中院通茂の門人にして、和歌を能くし、最も國學に長ず。前田綱紀中年以後源氏物語を讀み、屢書を通茂に贈りて疑義を質しゝも、その親炙の機なきを嘆ぜり。寶永三年通茂門人眞靜を綱紀に奬めて曰く、侯若し源語の奧義を得んと欲せば眞靜を任用せよ。余秘鑰を擧げて盡く彼に傳へ、彼をして更に侯に傳へしめんと。綱紀乃ち之を祿せり。是に於いて眞靜江戸・金澤の間に往來して講を進め、爲に源語釋義十卷を作れり。