淺加久敬、通稱九丞、後諱は通郷、淺香山の古歌にとりて山井と號し、又久敬軒謙益ともいへり。天質雅致、花月に悠遊して、口に財利を言はず。和歌を能くし、國史に精通す。嘗て徒然草の隱晦にして通讀し難きを慨し、古來の諸註を取りて之を和漢の群籍に考へ、十有五年を經て一書を爲す。徒然草諸抄大成二十卷是なり。貞享五年刻成りて之を藩侯の覽に供ふ。久敬の著尚武家耳底記五卷・列國雜記三卷・四不語録三卷(一名吼噦物語)・十要拔書・三日月日記一卷・道程記二卷・都の手ぶり一卷等あり。享保十二年二月五日歿す、年七十一。男友郷、通稱左藤次、亦文を好みしが同年五月四日歿せり。 成田明遠、鳩巣の門に學びて詩を好み、また和歌に耽る。その絶筆に、 今更に何か惜しまん誰とても限りありけるいのちとおもへば 享保十二年歿す、享年三十七。 原元寅、詩賦の傍ら和歌を嗜む。その調流麗典雅にして、屢搢紳の褒詞を得たり。享保十三年正月晦日歿、年七十八。 今枝直方、通稱を民部といふ。備前の人日置忠治の次子なり。寛文七年加賀に來り、今枝近義の養ふ所となる。直方、兵學及び本邦の典故に通じ、著書頗る多く、世情民俗より君臣の行實巨細洩らすことなく、筆に隨ひて之を集め、名づけて温故雜録・悦草・重輯雜談・高卑雜談・有初有終録・今枝直方筆記・壬申雜編・己卯雜誌・申辰雜書・壬辰雜志・丙申雜志・戊戌雜志・壬寅雜志等といひ、凡そ數百部あり。享保五年藩の家老に任ぜられ、十三年十二月十六日七十六歳を以て歿す。