原元慶、通稱九左衞門、號を貞桂といひ、亭を儲香と稱す。元寅の子にして殊に和歌に巧なり。後進みて人持組に班せしめらる。寶暦四年六月朔日歿、齡七十四。 竹内昌忠、通稱金右衞門、雲軒と號し、伊藤祐之の門人なり。その詩は誦すべきもの少しといへども、和歌に在りては頗る秀逸に富み、應教百題等後世に傳へて人口に膾炙せり。明和二年九月二十三日歿、年七十。 田中朋如、舊と小瀬氏、田中式如養ひて子とす。字は岡陵、個齋又は鷄溪と號し、後に名を定顯と改む。能く家學に通じ、又和語五音の秘奧に達し、父の著作を繼ぎて倭語拾補十五卷を撰す。又越濱土産あり、越中紀行あり、行文頗る妙。後明和七年五月非行ありて越中五箇山に流され、謫居中國學正義を起稿せしが、未だ業を終ふるに及ばずして同年十二月三日歿す、年六十一。朋如曾て父式如が著せる伊勢物語證註の奧に歌を載せて曰く。 おやの筆なる伊勢物語のうつしぶみの奧に、物かきつかはすついでに 伊勢の海くみてぞ藻鹽たらちねのかきし跡さへぬるゝ袖かな