山下清臣、通稱方介、蒲園と號す。藩臣大音家の給人なり。田中躬之の門に入りて皇學と和歌とを修め、又知友を勸誘して同じく其の門に入らしめし者少からず。狩谷鷹友の如きはこれなり。清臣歌文を作ること甚だ敏速。一日桂園一枝を讀み、景樹の風に擬して和歌を詠ず。金澤に在りて香川調を唱導せるもの、是を以て初とす。後和歌を以て身を立てんと欲し、家を弟に讓り、大國隆正の門に入り、近江八幡に住して斯道を奬勵せり。曾て父母を省せし際、能登を巡遊して名勝を尋ね、越中に入りて五十嵐篤好の家に屬し、大伴家持の古蹟を探る。安政二年十月十八日近江に歿す。 牡丹 花の上に積らん富はしらねどもよそめあやなく咲みちにけり 社頭初冬 けさ冬のしるしの杉にかゝりけりうすき時雨の雲の一むら